2005年07月19日

小早川秀秋は愚将か?

戦国時代には裏切りは日常茶飯事でしたがその中でも最も大きな裏切りの一つとされているのは関ヶ原の合戦における小早川秀秋の行為です。関ヶ原の合戦は言うまでもなく天下分け目の決戦で徳川家康はこの合戦に勝ったことによって天下をほぼ掌握したとされています。

この合戦において重要な役割を演じたのが西軍に属し松尾山に布陣した小早川秀秋でした。東西両軍一歩も譲らない状況が続く中、秀秋は西軍主力として奮戦中の大谷吉継の側面をついたのです。これがきっかけとなり西軍は完全に浮き足だち一気に敗走することになりました。小説や大河ドラマなどで秀秋は優柔不断で愚鈍な武将として描かれることが目立ちます。小早川秀秋は戦後その功により50万石の大名へとなりますが、関ヶ原の合戦のわずか2年後、急死します。死因は諸説いろいろありますが今回はそのことについては取り上げません。彼の人物評はその死後についたものが多く関ヶ原の合戦における裏切り行為により悪いイメージが先行しすぎていると思われます。皆さんに考えてもらいたいことは彼は関ヶ原の合戦時はまだ19歳という若者だったたということです。そして21歳で亡くなるわけです。もし長生きをしていたらこの後、素晴らしい名将に育つ可能性はいくらでもあります(もちろん歴史に残る馬鹿武将になることも考えられますが)。

こんなエピソードがあります。朝鮮出兵において総大将でありながら自ら敵陣に乗り込み軽率な行動をして、石田三成に「大将の器ではない」と秀吉に報告された・・・・
確かに軽率な行動ではあったかもしれません。しかしこの時点で秀秋の年齢は15、6歳です。私だったら軽率というより将来が楽しみな武将だという評価を与えたいですね。また一緒に戦った前線の兵も好感がもてるのではないでしょうか。

いずれにせよ小早川秀秋はあまりに早く歴史上から姿を消してしまったため非常に評価しづらい人物であるといえます。それにも関わらずこれからも秀秋はただの馬鹿武将として多くの人によって伝えられていくでしょう。ボブ夫のどうでもいいことでした。

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posted by ボブ夫 at 14:38| Comment(18) | TrackBack(2) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小早川秀明は、私の好きな大谷吉継が小勢で奮戦している側面をつくなんて非情だと思いました。
Posted by 夫人 at 2005年07月21日 20:10
朝鮮出兵での活躍、伏見城攻めの活躍を見る限り
、愚将では無いと思う。むしろ戦闘面では、短慮ではあるけど優秀な方だったかも。
Posted by ぶんご at 2006年01月11日 03:40
テレビ系列「DRAMA COMPLEX」枠で放送される「戦国自衛隊・関ケ原の戦い」では小早川秀秋役に藤原竜也……イメージ変わるかもしれません。
Posted by 但馬 at 2006年01月20日 21:52
テレビを見たけど信長、秀吉、家康は知っていたけど小早川秀明は知らなかった。
Posted by お馬鹿さんの母 at 2006年01月31日 23:17
テレビ見ましたー、19歳って設定なんですか!びっくり・・・
なんにせよ来週が楽しみです♪
Posted by すぅ at 2006年02月01日 00:46
小早川秀明の名は知っていてもどんな人なのか知らずでしたので(歴史興味なく無知に近い)
昨日のテレビみて、小早川秀明を調べてみましょうと思い、ここにきたわけであります。配役、藤原竜也でよかったのかも・・・かも・・・。
Posted by けろろ at 2006年02月01日 17:03
なんか最近いろんな人がこの記事を読んでくれているようでうれしいかぎりです。
Posted by ボブ夫 at 2006年02月05日 00:21
戦国自衛隊かなりよかったですぅ
小早川秀明が最後のところ・・・・。
かっこよかった!! ワラ))
Posted by らら at 2006年02月07日 23:44
皆さん、名前を間違えちゃ駄目ですよ。
秀明じゃなくて秀秋です。

戦国自衛隊観ました。
作品中では、最初家康の命令に翻弄されていた秀秋だったものの、クライマックスでは名言を残しています。自衛隊員の一人に対して言った言葉なので、歴史上確認されている言葉ではないし、本当の彼の考えだったかどうかも分からないんだけど、この部分の秀秋の言葉にジーンときました。かっこよかったです。



Posted by 29号 at 2006年02月08日 00:46
戦国自衛隊、感動しました。最後に秀秋が殺されてしまい歴史上では合戦後どうなったのか知りたくてここへたどり着きました。
Posted by こう at 2006年02月08日 16:27
史実では死因が様々取りざたされていますが、「斬り殺そうとした農民に股間を蹴り上げられて悶死」というのが有力とか……
Posted by 但馬 at 2006年02月08日 21:31
個人的には精神的ストレスで疲れて死んでしまったのかなと思っています。
Posted by ボブ夫 at 2006年02月09日 14:38
個人的には・・・自殺したやら、あそこで寝返ってよかったか?と、とても悩んだ末自殺した。あるいは鬱病に近い病気を発症して死んだとか・・・
Posted by 雑魚 at 2006年02月09日 19:11
私も戦国自衛隊見て初めて秀秋の名前を知りました!秀吉の本は色々と読んできたんですが印象はかなりうすかったです。
勉強なりました。
Posted by 秀吉をこよなく愛する人間 at 2006年02月12日 23:37
裏切りというが、私自身は、そうは思わない
なぜなら民衆が誰より望んだのは、平和であった
石田三成を見ても平和へと収めるだけの器量が
あったとは到底思えない策略だけでは、人を
収め生かす事は、出来ないと思います。

小早川氏は、世の中の為には、賢明な判断であったと思う戦国の時代であるならば裏切りとは
民衆の心。平和を願う心を踏みにじる事こそが裏切りだと思いますね。
自身の感情に溺れ民衆を不幸へと導く事こそ
一番の裏切りではないかしらね。
一国を預かるものとしての賢明であったと。
誰も戦争を好まないものです。
石田三成は、他の大名にも不評があったと聞いてますしいずれは、また戦乱の世となり民衆が
苦悩にあえぐよりは、この方がよかったものと
思いますね。それあればこそ今があるしね。

秀吉のように人の命や人生を我が物の如く
簡単に死刑にしたり、わがまま政治は、みんな
辛いだけですから。
いずれにせよ小早川氏の行った事は、周りの家臣の検討もあっての答えですから独りだけがどうだとは言い切れません国主であろうがすべてが
思い通りでは無いものです一応家臣の信任もあっての実行ならば、独りだけが裏切りと罵られることにいささか疑問ありですね。
後の世を考えての采配ならば正解の行動でしょうね。
戦国の時代に100%の信頼など無い時代です
相手も万が一の備えを怠ったが為の油断もあります。民衆の為に国を生かすのも国主の務めですから彼のしたことは、やむ得無いものです。
Posted by mama at 2006年02月28日 11:05
関ヶ原の合戦が始まって戦わなかったのは秀秋だけではありません。

戦わなかったのは徳川家康の三男、秀忠が3万の兵を率いているのに
来ていないからだと思います。

戦いが始まってすぐは、どうして秀忠が来ていないのか分からないか
ら家康が温存していると思ったでしょう。

合戦が終わって、寝返った者は秀忠の部隊に攻撃される可能性がある。

それが動かなかった理由で、秀秋はその中では早く行動したほうです。

私は下記のブログで「小早川秀秋」について今までとは違った見方で
紹介しています。

「関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋」
http://ykblog.ameblo.jp/
Posted by 昿野 洋一 at 2006年04月07日 02:04
戦国自衛隊を録画してあるので、久しぶりに見た。小早川秀秋に関しては、愚将でないよと思う。かっこよかったでございます。裏切りは、しょうがなかったのではないかなと思う。
Posted by Pナッツ at 2006年04月07日 16:03
戦国自衛隊を録画してあるので、久しぶりに見た。小早川秀秋に関しては、愚将でないよと思う。かっこよかったでございます。裏切りは、しょうがなかったのではないかなと思う。裏切ってないと、家康は負けたと思うから、今我々もここに存在していないかもしれなかったと深く考えると、逆に感謝したいぐらいになってもおかしくないのではなかろうか。
Posted by Pナッツ at 2006年04月07日 16:11
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