2005年08月05日

伊達政宗〜内に秘めた野望

伊達政宗・・・・・名前が格好いいですよね。そしてゲームやテレビでも格好よく描かれます。なんかひたすら格好いいイメージがあります。天下人である秀吉や家康に物怖じせず渡り合ったのが人気の秘密かもしれません。はたまた騎馬鉄砲隊の採用やイスパニアとの同盟を図るなどした企画力かもしれません。もしかすると天下人になれたかもしれないという人もいます。果たして彼に天下をとる可能性はあったのでしょうか?そして天下人たる器であったのでしょうか?まず政宗が天下を狙えたチャンスは秀吉の死後しかなかったでしょう。秀吉存命中はやはり無理だったといえます。まあ、秀吉の北条氏攻めの時に北条・伊達・徳川の三国同盟成立していれば秀吉には対抗できたかもしれません。しかし仮にこの同盟が成立して秀吉を打ち破ったにしても徳川が中心になるのは明らかですし、なにより徳川家康がこのような冒険をするとは思えないので現実味がなさすぎます。

秀吉の死後、天下は乱れ徳川家康の勢力が増していきます。そんな中で起きたのが関ヶ原の合戦でした。政宗は東軍に属し、上杉軍の押さえとして勝利に貢献します。しかし同じく東軍に属した南部氏の領土で一揆をけしかけるなどその行動は単純ではありませんでした。関ヶ原の合戦が長期化した場合、政宗がその隙に奥州を統一、家康留守の江戸に大軍を率いて南下すれば東国が伊達領ということになり伊達政宗の天下は近づいたでしょう。しかしこのシュミレーションには決定的な欠陥があります。上杉景勝の存在です。景勝はあの上杉謙信の養子で、上杉家を受け継ぎ豊臣政権下において会津に120万石を有していました。対する伊達家は60万石あるかないかです。兵力の差は歴然としていますし、なにより上杉軍は精強です。上杉の存在は政宗が「東国の覇者」になるには大きな障害となったでしょう。さらにその後の天下獲りとなると大きな紆余曲折が予想され、正直天下は取れなかっただろうなあというのが個人的な見解です。

史実では関ヶ原の合戦は一日で終わりあっという間に徳川の世の中になります。江戸時代初期、政宗はイスパニアとの外交など怪しい動きは見せますが、天下獲りは諦めたかのように落ち着きます。

政宗が本当に天下に対する大きな野望をもっていたら人生のどこかで勝負にでたんじゃないでしょうか?それを政宗はしなかった。もしかすると一般的に思われているほど野望多き人物ではなかったのかもしれません。もしかすると自分と秀吉や家康を比べ自分にはそこまでの器はないと感じたのかもしれませんね。ボブ夫のどうでもいいことでした。
posted by ボブ夫 at 13:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
よくぞ伊達政宗について書いてくれた!!
僕も天下を取ろうとは思っていなかった様に思います。自分の能力を誰よりもわかっていたのではないかと。今、自分の抱えている民をいかに豊かにするのかが彼の目標だったのではないかと思います。天下は取れなかったけど、やっぱり伊達は凄いよ。「伊達物」の伊達は彼から来てるからね。
外様のどうでもいいことでした。
Posted by 外様 at 2005年08月05日 21:56
コメントありがとうございます!やっぱり伊達政宗は格好いいですよね!
Posted by ボブ夫 at 2005年08月06日 10:07
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