2005年09月27日

長宗我部元親〜四国の蓋〜

長宗我部元親.jpgまあ、戦国時代好きの人にはメジャーすぎる人物ですよね。案外、そうでもない人もこの個性的な名前を知っている人も多いかと思います。一応読み方はチョウソカベモトチカです。彼は四国の大名でした。それも四国を統一した結構な大物です。しかし幼少の頃はおとなしい性格で陰では「姫若子」と呼ばれていました。しかも初陣の際、槍の使い方を家臣に尋ねたそうです。こんなエピソードが残っているのは彼ぐらいでしょう(笑)槍の使い方知らないって・・・ちなみに尋ねられた家臣は「槍は敵の目に突くものです」と答えたそうです。まあこんなヘタレな彼も初陣で大活躍をし、「姫若子」から「鬼若子」への変身を遂げます。その後、父の後を受け継ぎ長宗我部家の当主として四国統一に動き出します。四国で元親の能力は抜きん出ていました。また信長と同盟を結ぶなど時勢を見る目も確かでした。本能寺の変後も、着々と勢力を広げ1585年になり念願の四国統一を実現しました。この統一された四国の兵力を持って本州上陸が果たせれば、天下も狙える・・・・時代はそれを許しませんでした。天下人、豊臣秀吉の登場です。秀吉の大兵力によってあっけなく長宗我部軍は敗北しました。兵農分離と兵農未分離の差も大きかったといわれていますが、それ以上に兵力の差が歴然としていたと思います。


秀吉に降伏することによって元親は土佐一国(今の高知県)の領土を認められますが、四国全土から土佐一国の削減には相当へこんだでしょうね。この後、元親は秀吉臣下の武将として働いていくことになります。

そんな元親に悲劇が襲います。九州征伐で長男信親の戦死です。信親は知勇兼備の名将で元親も彼を頼りにしていました。というより溺愛していました。その死は相当こたえたようです。その後の元親からはかつての聡明さはなくなりお家騒動も目立ってきます。そして反対者を処罰するなど独裁者ぶりを発揮します。それでも歴史は進んでいきます。小田原征伐、朝鮮出兵などに従軍した後、1599年に元親は亡くなります。戦国を代表する大名ですが悲しいぐらいあっけないものでした。元親死後の長宗我部家ですが、四男の盛親が後継者となりますが、関ヶ原の合戦において西軍に味方します。その結果、領地没収となり浪人となってしまします。それからは数年の間寺子屋で生計をたてることになります。人生はあっという間に変わってしまうものですね。

そうして長宗我部家滅亡の時が来ます。きっかけは大阪の陣です。この戦いで盛親は大坂城に入場し、奮戦します。しかしそれでも歴史の流れには逆らえません。大阪方は敗北し盛親は捕らわれ六条河原で斬首されました。ここに長宗我部家は滅亡します。なんか可哀想な家ですが個人的にはなんか好きですね。ボブ夫のどうでもいいことでした。

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posted by ボブ夫 at 22:52| Comment(3) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
長宗我部家って気の毒です。土佐に山内一豊が来てからもひどい目にあうし…。せっかく四国統一したのに、間が悪いし…。運がないんですかねぇ。
Posted by mansaku at 2005年09月29日 14:17
長宗我部元親、大河ドラマにしたら結構面白いと思うんですけどね。最後はちょっと盛り下がってしまうかもしれませんがね〜・・・
Posted by 織田 創 at 2005年09月29日 23:20
やはり運のなさが目につきますよね。個人的には大河ドラマで島津を取り上げるとなかなかおもしろいと思いますね。九州統一の挫折、四兄弟の確執、朝鮮出兵、関ケ原の合戦における敵中突破などなどネタはつきないと思うのですが。
Posted by ボブ夫 at 2005年10月01日 09:10
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